嫌われる勇気ー短縮型台本4
S
いやいや、「与えられたものをどう使うか」に注目するなんて無理な話です。
T
なぜ無理なのです?
S
なぜって、裕福で優しい両親のもとに生まれる人間もいれば、貧しくて底維持の悪い両親に生まれる人間もいる。それが世の中ってものだからですよ。さらに、こんな話はしたくありませんが、この世界は平等ではなく、人間や国籍、民族の違いだって、いまだ歴然と横たわっているわけです。「何が与えられているか」に注目するのは当たり前でしょう!先生、あなたのお話は机上の学説ばかりで、現実の世界を無視しておられます!
T
現実を無視しているのはあなたです。「何が与えられているか」に執着して、現実が変わりますか?我々は交換可能な機会ではありません。我々に必要なのは交換ではなく更新なのです。
S
私にとって交換も更新も同じです。いいですか、生まれながらに不幸は存在する。まずはそこを認めてください。
T
認めません。
S
なぜです?
T
例えば今、あなたは幸せを実感できずにいるでしょう。生きづらいと感じることもあるし、いっそ別人に生まれ変わりたいとさえ願っている。しかし、今のあなたが不幸なのは、自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです。不幸の星の下に生まれたからではありません。
S
不幸であることを自らが選んだ?そんな話、どう信じろと!?
「善」の定義について、ギリシア語を例に出して説明。
「しかるべき理由があって行動する」=「善」の遂行
T
あなたは人生のどこかの段階で、「不幸であること」を選ばれた。それはあなたが不幸な境遇に生まれたからでも、不幸な状況に陥ったからでもありません。「不幸であること」がご自身にとっての「善」だと判断した、ということなのです。
S
なぜ!なんのために!?
T
あなたにとっての「しかるべき理由」がなんだったのか。なぜ自ら「不幸であること」を選んだのか。その詳細までは、私にもわかりません。
【人は常に「変わらない」という決心をしている】
T
ここで簡単に、議論のベースとなる部分、つまりアドラー心理学が人間をどのように理解しているかについて説明しておきましょう。
先ほどあなたは「人の性格や気質は変えられない」と言いました。一方、アドラー心理学では、性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明します。
S
ライフスタイル?
T
ええ、人生における、思考や行動の傾向です。
S
思考や行動の傾向?
T
その人が「世界」をどう見ているか。また「自分」のことをどう見ているか。これらの「意味づけのあり方」を集約させた概念が、ライフスタイルなのだと考えてください。狭い意味では性格とすることもできますし、もっと広く、その人の世界観や人生観まで含んだことになります。
S
世界観とは?
T
例えば「私は悲観的な性格だ」と思い悩んでいる人がいたとしましょう。その言葉を「私は悲観的な世界観をもっている」と言い換えてみる。問題は自分の性格ではなく、自分思っている世界観なのだと考えてみる。性格という言葉には、変えられないものだというニュアンスがあるかもしれません。しかし、世界観であれば変容させていくことも可能でしょう。
S
ううむ、少し難しいな。そのライフスタイルとは、つまり「生き方」に近い話なのでしょうか?
T
そういう表現もあり得るでしょう。もう少し正確に言うなら「人生のあり方」という意味ですね。きっとあなたは、気質や性格は自分の意思とは無関係に備わるものと考えているはずです。しかしアドラー心理学では、ライフスタイルは自ら選び取るものだと考えます。
S
自ら選び取るもの?
T
ええ、あなたはあなたのライフスタイルを自ら選んだのです。
S
つまり、私は「不幸であること」を選んだばかりではなく、このひねくれた性格までも、自らの手で選んだのだと?
T
もちろんです。
S
ははっ、いっくらなんでもその議論には無理がありますよ。私は気がついた時にはこんな性格になっていました。選んだ覚えなど全くありません。
T
もちろん、意識的に「こんな私」を選んだわけではないでしょう。最初の選択は無意識だったかもしれません。しかも、その選択にあたっては、あなたが再三おっしゃるような外的要因、すなわち人種や国籍、文化、また家庭環境といったものに大いに影響します。それでもなお、「こんな私」を選んだのはあなたです。
S
意味がわからない。一体どこで選んだんですか?
T
およそ十歳前後だというのが、アドラー心理学の見解です。
S
じゃあ百歩譲って、いや二百歩譲って、十歳の私が無意識ながらもそのライフスタイルとやらを自分で選んだのだとしましょう。けれど、一体それがどうしたというのです?言葉が性格であれ、気質であれ、あるいはライフスタイルであれ、私はすでに「こんな私」になってしまったのです。自体は何も変わらないじゃありませんか。
T
そんなことはありません。もしもライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び選び直すことも可能なはずです。
S
選び直す?
T
あなたはこれまで自らのライフスタイルを知らなかったのかもしれない、ライフスタイルという概念さえも。もちろん自らの生まれを選ぶことは誰にもできません。この国、この時代、この両親のもとに生まれること、全て自分で選んだものではない。しかもそれらは、かなり大きい意影響力を持っている。不満もあるでしょうし、他者を見て「あんな境遇で生まれたかった」と思うこともあるでしょう。
でも、そこで終わってはいけないのです。問題は過去ではなく現在の「ここ」にあります。いま、あなたはここでライフスタイルを知ってしまった。であればこの先どうするかはあなたの責任なのです。これまでどうりのライフスタイルを選ぶことも、新しいライフスタイルを選び直すことも全てはあなたの一存にかかっています。
S
では、どうやって選び直すのです?即座に変えられるわけないでしょう!
T
いえ、あなたは変われないのではありません。人はいつでもどんな環境にいても変われます。あなたが変われないのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。
S
なんですって?
T
人は常に自らのライフスタイルを選択しています。あなたはご自身のことを不幸だとおっしゃる。今すぐ変わりたいとおっしゃる。別人に生まれ変わりたいとさえ訴えている。にもかかわらず変われないでいるのはなぜです?それはあなたがご自分のライフスタイルを変えないでおこうと、不断の決心をしているからです。
S
いやいや、全く筋の通らない話じゃありませんか。私は変わりたい。これは嘘偽りのない本心です。なのにどうして変わらない決心をするのですか?
T
少しくらい不便で不自由なところがあっても今のライフスタイいるの方が使いやすく、そのままでいる方が楽だと思っているのでしょう。
もしも「このままの私」であり続けていれば、目の前のことにどう対処すればいいか、そしてその結果どんなことが起きるか、経験から推測できます。
一方、新しいスタイルを選んでしまったら、新しい自分に何が起こるかもわからないし目の前のことにどう対処すればいいのかもわかりません。未来がわかりずらくなるし、不安だらけの生を送ることになる。もっと苦しく、もっと不幸な生が待っているかもしれない。つまり人は、色々と不満はあったとしても「このままの私」でいることの方が楽であり、安心なのです。
S
変わりたいけど、変わるのが恐ろしいと?
T
ライフスタイルを変えようとする時、我々は大きな「勇気」を試されます。変わることで生まれる「不安」と、変わらないで付き纏う「不満」。きっとあなたは後者を選択したのでしょう。
S
今、また、勇気という言葉を使われましたね。
T
ええ、アドラー心理学は勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましては能力が足りないのでもない。あなたにはただ「勇気」が足りない。言うなれば、「幸せになる勇気」が足りていないのです。
【あなたの人生は「いま、ここ」で決まる】
S
問題は「どうすればライフスタイルを変えることができるか」という具体的な方策です。そこはまだ説明されていません。
T
確かに。あなたが今、一番最初にやるべきことは何か。それは「今のライフスタイルをやめる」という決心です。
例えば先ほど、あなたはもしもYのような人間になれば幸せになれると仰りました。そうやって、もしも何々だったらと言う可能性に生きているうちは、変わることなどできません。なぜならあなたは変わらない自分への言い訳として「もしもYのような人間になれたらといっているのです」
S
変わらない自分への言い訳?
T
私の若い友人に、小説家になることを夢見ながら、なかなか作品を書き上げられない人がいます。彼によると仕事が忙しくて小説を書く時間もままならない、だから書き上げられないし賞の応募にも至らないのだそうです。
しかし、果たしてそうでしょうか。実際のところは、応募しないことによって「やればできる」と言う可能性を残しておきたいのです。人の評価に晒されたくないし、ましてや駄作を書き上げて落選すると言う現実に直面したくない。時間さえあればできる、環境さえ整えばできる、自分にはその才能があるのだ、と言う可能性の中に生きていたいのです。おそらく彼は、あと10年もすれば「もう若くないから」とか「家庭もできたから」と別の言い訳を使い始めるでしょう。
S
彼の気持ち、私には痛いほどよくわかります。
T
賞に応募して落選すればいいのです。そうすればもっと成長できるかもしれないし、あるいは別の道に進むべきだと理解するかもしれません。いずれにせよ、前に進むことができます。今のライフスタイルを変えるとはそう言うことです。応募しないままではどこにも進めません。
S
夢は砕けるかもしれませんがね!
T
でもどうでしょう。シンプルな課題ーやるべきことーを前にしながら「やれない理由」をあれこれと捻り出し続けるのは、苦しい生き方だと思いませんか?小説家を夢見る彼の場合、まさしく「私」が人生を複雑にし、幸福に生きることを困難にしているわけです。
S
。。。厳しい。先生の哲学はあまりに厳しい!
T
確かに劇薬かもしれません。
S
ええ、劇薬ですとも!
T
ですが世界や自分への意味づけ(ライフスタイル)を変えれば、世界との関わり方、そして行動までもが変わらざるを得なくなります。この「変わらざるを得ない」と言うところを忘れないでください。あなたは「あなた」のまま、ただライフスタイルを選び直せばいい。厳しい話かもしれませんが、シンプルです。
S
そうじゃない、私のいっている厳しさは違います!先生のお話を聞いていると、「トラウマなど存在しないし、環境も関係ない。何もかも身から出た錆なのであってお前の不幸はお前のせいだ」と、これまでの自分を断罪されている気分になってくるんですよ。
T
いえ、断罪しているのではありません。むしろアドラーの目的論は、「これまでの人生に何があったとしても、今後の人生を生きるのになんの影響もない」といっているのです。自分の人生を決めるのは、「今、ここ」に生きるあなたなのだと。
S
私の人生は今ここで決めると?
T
ええ、過去など存在しないのですから。