嫌われる勇気ー短縮型台本5

S

先日、私は自分のことが嫌いだと認めました。どうやっても短所しか見当たらず、好きになる理由が思いつかない。でも、当然ながらわたしだって自分のことを好きになりたいのです。

T

なるほど。あなたは、自分に長所などないと感じている。短所しかないと感じている。事実がどうであれ、そう感じている。要するに自己評価が著しく低いわけです。問題は、なぜそれほど卑屈に感じるのか、どうしてご自分のことを低く見積もっているのかです。

S

事実として私に長所がないからですよ。

T

違います。短所ばかりが目についてしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と、決心しているからです。自分を好きにならないと言う目的を達成するために、長所を見ないで短所だけに注目している。まずはその点を理解してください。

S

自分を好きにならないでおこうと決心している?

T

ええ。自分を好きにならないことが、あなたにとっての「善」なのです。

 ご自身のことでわかりにくければ、別の方の例を出しましょう。わたしはこの書斎で、簡単なカウセリングもおこなっています。そしてもう何年も前の話になりますが、ひとりの女学生がやってきました。 

 さて、彼女の悩みは赤面症でした。人前に出ると赤面してしまう、どうしてもこの赤面症を治したい、といいます。そこでわたしは聞きました。「もしもその赤面症が治ったら、あなたはなにがしたいですか?」。すると彼女は、お付き合いしたい男性がいる、と教えてくれました。赤面症が治った暁には、その彼に告白してお付き合いをしたいのだ、と。

S

ひゅう!いいですね。でも意中の彼に告白するには、まず、赤面症をなおさなきゃいけない。

T

はたして、ほんとうにそうでしょうか?わたしの見立ては違います。どうして彼女は赤面症になったのか。どうして赤面症は治らないのか。それは、彼女自身が「赤面症という症状を必要としている」からです。

S

いやいや、なにをおっしゃいますか。治してくれといっているのでしょう?

T

彼女にとって、いちばん恐ろしいこと、いちばん避けたいことはなんだと思いますか?失恋によって、「わたし」の存在や可能性をすべて否定されることです。

 ところが、赤面症をもっているかぎり、彼女は「わたしが彼とお付き合いできないのは、この赤面症があるからだ」と考えることができます。告白の勇気を振り絞らずに済むし、たとえ振られようと自分を納得させることができるのです。

S

じゃあ、告白できずにいる自分への言い訳として、あるいは彼から振られたときの保険として、赤面症をこしらえていると?

T

端的にいうなら、そうです。

赤面症を治してほしいとという、相談者が現れたとき、カウンセラーはその症状を治してはいけません。そんなことをすれば、立ち直りはもっとむずかしくなるでしょう。アドラー心理学的な発想とは、そういうことです。

S

じゃあ、具体的にどうするのです? 悩みを聞いて放置するとでも?

T

彼女は自分に自信を持てていなかった。このまま告白してもきっとふられるに違いない、そうなったら自分はますます自信を失い、傷ついてしまう、という恐怖心があった。だから赤面症という症状をつくりだしたわけです。わたしにできることとしては、まず「いまの自分を受け入れてもらい、たとえ結果がどうあったとしても前に踏み出す勇気を持ってもらうことです。アドラー心理学では、こうしたアプローチのことを「勇気づけ」と呼んでいます。

S

それで結局、彼女はどうなりました?

T

友達を交えてその男性と遊びに行く機会があり、最終的には彼のほうから付き合ってほしいと告白されたそうです。もちろん、彼女が再びこの書斎にやってくることはありませんでした。赤面症がその後どうなったのか、わたしは知りません。ですが、おそらくもう必要としなくなったでしょう。

S

あくまでも、必要としなくなった、のですね。

T

ええ。さて、彼女の話を踏まえつつ、あなたの問題を考えましょう。あなたは現在、自分の短所ばかりが目について、なかなか自分を好きになれないとおっしゃる。そしていいましたね?「こんなひねくれた男となんて、誰も付き合いたくないだろう」と。

 もうおわかりでしょう。なぜあなたは自分が嫌いなのか?

なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないでおこうとしているのか?それはあなたが他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に恐れているからなのです。

S

どいうことです?

T

赤面症の彼女が男性から振られることを恐れていたように、あなたは他者から否定されることを恐れている。誰かから馬鹿にされ、拒絶され、心に深い傷を負うことを恐れている。そんな事態に巻き込まれるくらいなら、最初から誰とも関わりを持たないほうがましだと思っている。つまり、あなたの「目的」は、「他者との関係のなかで傷つかないこと」なのです。

S

・・・・・。

T

では、どうやってその目的をかなえるのか?答えは簡単です。自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、他人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。そうやって自分の殻に閉じこもれば、誰とも関わらずにすむし、仮に他者から拒絶されたときの理由づけにもなるでしょう。わたしにはこういう短所があるから拒絶されるのだ、これさえなければわたしも愛されるのだと、。

S

・・・・・ははっ、見事に喝破されましたね!

T

はぐらかしてはいけません。短所だらけの「こんな自分」でいることは、あなたにとってかけがえのない「善」、すなわち「ためになること」なのです。

S

そうです、確かにそうですよ!わたしは怖い。対人関係の中で傷つきたくない。

自分という存在を拒絶されるのが、恐ろしくてならないんです!認めようじゃありませんか、まったくそのとうりですよ!

T

対人関係の中で傷つかないなど、基本的にありえません。対人関係に踏み出せば大なり小なり傷つくものだし、あなたも他の誰かを傷つけている。なにしろアドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言しています。

では対人関係について、ちょっと角度を変えたところから話をしましょう。

あなたは劣等感という言葉をご存じですか?

S

愚問ですね。今までの話からもおわかりでしょう、わたしは劣等感の塊のような男ですよ。友人が幸せそうにしている姿を見た時も、祝福する気持ちよりも、先に妬みや焦燥感が出てきます。もちろん、このニキビだらけの顔も好きじゃありませんし、学歴や職業、それから年収など、社会的な立場についても強い劣等感を持っている。まあ、どこもかしこも劣等感だらけです。

T

では、わたし自身の劣等感についてお話しましょう。あなたは最初にわたしに会ったとき、どのような印象を持ちましたか?具体的な特徴という意味で。

S

ええっと、まあ・・・・・。

T

遠慮することはありません、素直に。

S

そうですね。想像していたよりも小柄な方だと思いました。

T

ありがとう。わたしの身長は155センチメートルです。かつてわたしはーまさにあなたくらいの年齢までー自分の身長について思い悩んでいました。もし、人並みの身長があれば、何か変わるんじゃないか。もっと楽しい人生が待っているんではないか。そう思ってあるとき友人に相談してところ、彼は「くだらない」と一蹴したのです。

S

。。。。。それはひどい!なんて男でしょう!

T

続けて、彼はこういいました。「大きくなってどうする?お前には人をくつろがせる才能があるんだ」と。たしかに、大柄で屈強な男性は、それだけで相手を威圧してしまうところがあるのかもしれません。一方、小柄なわたしであれば、相手も警戒心を解いてくれる。なるほど、小柄であることは自分にとっても周囲の人にとっても、好ましいことなのだと思わされました。つまり価値の転換です。今はもう、自分の身長を思い悩んでなどいません。

S

ううむ。しかしそれは・・・・・。

T

最後まで聞いてください。ここで大切なのは、155センチメートルというわたしの身長が「劣等性」ではなかった、ということです。

S

劣等生ではなかった?

T

事実として、なにかが欠けていたり、劣っていたりするわけではなかったのです。たしかに155センチメートルという身長は平均より低く、なおかつ客観的に測定された数字です。一見すると、劣等感に見えるでしょう。しかし問題は、その身長についてわたしがどのような意味づけをほどこすか、どのような価値を与えるか、なのです。

S

どういう意味です?

T

わたしが自分の身長に感じていたのは、あくまでも他者との比較ーつまりは対人関係ーの中で生まれた、主観的な「劣等感」だったのです。もしも比べるべき他者が存在しなければ、わたしは自分の身長が低いなどと思いもしなかったはずですから。あなたもいま、さまざまな劣等感を抱え、くるしめられているのでしょう。しかし、それは客観的な「劣等性」ではなく、主観的な「劣等感」であることを理解してください。身長のような問題でさえも、主観に還元されるのです。

S

つまり、われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈なのだと?

T

そのとおりです。わたしは友人の「お前に人をくつろがせる才能があるんだ」という言葉に、ひとつの気づきを得ました。自分の身長も「人をくつろがせる」とか「他者を威圧しない」という観点から見ると、それなりの長所になりうるのだ、と。もちろん、これは主観的な解釈です。もっと言えば勝手な思い込みです。

ところが、主観には一つだけいいとこがあります。それは、自分のてで選択可能でということです。自分の身長について長所と見るのか、それとも短所と見るのか。

いずれも主観に委ねられているからこそ、わたしはどちらを選ぶこともできます。

S

ライフスタイルを選び直す、というあの認識ですね?

T

そうです。我々は客観的な事実を動かすことはできません。しかし、主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。そして私たちは、主観的な世界の住人である。

つまり、価値の問題も最終的には対人関係に還元されていくのです。

アドラー思想「嫌われる勇気」05/19